福井さんの学生時代を教えてください。
学生時代はずっとバスケに打ち込んでました。この業界は、「小さい頃からずっと好きで……」という人も結構いますが、僕はそれほど特別な感じではなかったです。読者の皆さんの中にも、自分は昔から好きだったわけではないし……ということが理由で諦めたり、一歩引いてしまっている人もいるかもしれませんが、そこは全然大丈夫だと思いますよと是非伝えたいですね。
そこからエンタメの道に進んだきっかけはありますか?
僕は中学校から大学まで一貫校に通っていたんですが、ちょうど高校の卒業が近くなった頃に、なんだか漠然と不安になって。というのも、大学受験を経て入学する人たちに比べて、自分は学力は劣ってるだろうし、その人たちと同じような一生懸命な努力は何もしてないなと。このまま自分の中での何か“特別”を見つけないと、自分がすごいダメな人間になる気が勝手にしてて、めちゃくちゃ不安だったんです。
そのことをお世話になっていた先生に打ち明けたら、僕が当時書いていた卒論的な書き物を読んで「福井くんは文章が独特で、うまいよね」ってほめてくれて。僕がテレビドラマが好きなことを言うと「よーし! じゃあ福井君は脚本家!」と脚本教室を勧められたのがエンタメの道に進んだきっかけでした。
その先生からの一言で大きく変わったんですね。
そうなんです。ただ実際には、当時僕自身がどこまで脚本に対する熱意を持っているのか、むしろ脚本家という仕事すら何なのかも分かりませんでした。それぐらいの感覚の中で脚本教室に通ってみて、それで書き始めてみたら、楽しかったんですよ。純粋に。そこからだんだんとモノづくりってこういうものなのかもなと手探りで知るようになっていって。つまり僕の経験から少しだけ言えるのは、最初の志ってすごく大きく燃えているものじゃなくても、だんだんと燃えてくるものもあるってことを是非伝えたいですね。そして面白そうだなって思ったことは、まず一回やってみてもいいのではないかと。やめるのはいつだってどこだって自由なので。特にこの仕事は紙とペン、言うなればパソコン1台あれば誰でもやってみれますから。
初めて福井さんが書かれた脚本はどんなものでしたか?
初めての脚本、今でも取ってありますよ。なんかどっかで見たことあるような設定をかき集めた謎のSF劇みたいになってました。見返すと恥ずかしくなります(笑)
自分の志や想いが強ければ強いほど、白紙を前にしたら躊躇してしまうこともあると思うんです。福井さんはどのように感じていましたか?
分かりますね。でもそうなってしまうのは、理想の完成形、というかその温度感みたいなのが自分の中にあって、いきなりそこに到達しようとしてしまうからだと思うんですよ。そしてそこを目指そうとすると、一行目から迷って何も書けなくなる。「出だしからキャッチーなセリフ入れたいな」とか、「何か自分らしさを表せるようなエッセンスを入れたいな」とか。でもその時点で、実は自分の書きたいものから離れてしまってる気がするんですよね。他人からどう評価されるかはそれが本当に生業になってから考えれば良いことであって、一番最初の一歩を踏み出す人の権利って、何を書いてもいいという『自由』だと思うんです。だからその特権を存分に活かすしかないぞ、と思ってました。
確かに理想がありすぎるからこそ、自分で生み出すのが怖くなります。
「やらない後悔よりやった後悔の方がいい」みたいな言葉、よくあるじゃないですか。僕からしたら、その言葉を聞くと「いや、後悔そのものをしたくないんだよ」って思ったりするので二の足を踏むのはすごくわかります。でも結局は、やってみないと分からないことも多いから、一歩目のハードルを自分の中でどれだけ下げられるかが重要だと思っています。高い理想を持って一歩目からハードルをめちゃくちゃ高くするより、日々小さいハードルを超えていく方が成長も早いと思うんです。
もちろん理想を追い求めることも素晴らしいことなんですけど、理想や完璧を作り上げようとすると、ものすごい大変なんですよ。でも作品をつくっていくうちに、「これは見たくないな」「これは嫌だな」っていう判断材料みたいな感覚が自分の中で溜まっていくんです。そして嫌いなものをいっぱい集めていくと、嫌いじゃないもの、これならつくってみてもいいかなと思えるものはできるようになってきます。

この考え方は、現在のプロデューサーとして働く上でも同じでしょうか?
そうですね。企画を考えるときも一緒だと思います。プロデューサーとして企画を出す時に、「自分の至極の一本を出してください」って言われたら、僕自身迷う部分があると思います。でも「やってもいいんじゃないかな」というものはいくらでも出てきます。この「やってもいいかな」というものから「絶対にやったほうがいい!」というところに押し上げていくのが自分の一番の仕事ではないかと感じてます。
学生時代から続けていることはありますか?
学生の頃からスマホのメモに『気になったものフォルダ』を作ってます。好きな言葉とかセリフとしてパンチラインになるなと思ったものを書き溜めてて。それがもう、ふと見返すと中二病の塊みたいなフォルダになってるんですが(笑)
でもその中で、学生時代に感じたことってすごく普遍的だと感じるんですよ。大人になると合理的に様々なことを考えたり、ビジネス面での思考が入ってきたりしますが、学生の頃はもっと素直に、純粋に気になるものが視界の中に溢れてて。そういう感情を、たった一行でもいいから書き留めておくことが、後々ものすごい財産になるんじゃないかと思います。
脚本を書くために読んでいた本などはありますか?
本ではありませんが、一番はじめは図書館にあった有名な作品の脚本をひたすら写経のように書き写すことをしていました。自分の好きな作品の脚本を書き写しながら、「あ、こうやって書かれてるんだ」と文字通り手探りでつかもうとしてたんだと思います。他にも脚本と映像を見比べて「映像ではこうなるのか」というのを自分なりに理解したりしてましたね。基礎的なフォーマットさえ理解したら、あとは自分でとにかく脚本を書いてみる。失敗しても、最後まで書けなくてもいいのでとにかく書く。もし読者のみなさんの中に、ゼロから自分で書き始めるのなんて難しいという人がいたら、まずは既存の作品を参考にして書いても全然いいと思います。先人の知恵を知ることはとても大事なことだと思うので。一方で、先人の知恵の範囲の中でしか泳げなくなってももったいない。だからこそ、学ぶのはあくまで基本的なフォーマットという思いで参考にして、そのあとは自由に書いてみることがいいと思います。
なるほど。でも「自由に」と言っても、なかなか難しそうですね………。
僕は絶対にすべての人間ができると思っています。日常会話をしているときに、自分がこう話したら、相手がどう返してくるか、なんとなく想定することってありますよね。例えば自分が「おはよう」と言ったら、相手も「おはよう」と返してくるだろうし、反対にもし「今喋りかけないで」と言われたら、次に出てくる言葉って「大丈夫?」だったりするじゃないですか。そして肩に手を置くみたいな流れですよね。この内容はト書きに入れてみようとなるわけです。物語をつくるって、すごく飛躍した特殊能力のように思われがちですが、そんなことはない。日常の中で自然にやっていることを、ただ言葉として形にしているだけなんですよ。
しいて言えば、物語を作るときに意識しているのは「自分が同じ状況だったら、こんな言葉を言われたいな」とか「こんな行動をしてほしいな」とか、あるいは「自分がしなくても、こんなぶっ飛んだことをやってくれる人間がいたら、世の中面白いだろうな」と思うことを集めて、それを物語にしています。
プロデューサーを目指そうと思ったのはいつ頃ですか?
大学時代に、プロットライターのような仕事を少ししていました。その中で企画を考える機会もあってそれがすごく好きだったんです。ゼロからイチを生み出す瞬間。つまり何もないところから「こんな世界観があったら面白いな」と考えるのが楽しかった。もちろん、実際に脚本を書くのも好きだったんですが、それ以上に最初のアイデアを出すことに魅力を感じていました。そこから「自分がやりたいのはプロデューサーの仕事かもしれないな」と思い始めたんです。
それで就職活動はテレビ局を受けました。「これでテレビ局に拾ってもらえたら、プロデューサーになる運命なのかもしれない」と、自分に暗示をかけながら就活してましたね。幸運にも前職の日本テレビに採用され、さらに運良くドラマ制作部門に配属されたんです。そこから15年間プロデューサーをやってます。
後編ではプロデューサーについて、お話をうかがいます!
福井雄太
出身
神奈川県
職種
プロデューサー
経歴
2009年、日本テレビに入社。テレビドラマ制作部門に配属。助監督を務める。その後、自ら企画した『ピースボート -Piece Vote-』で、日本テレビ史上最年少のテレビドラマプロデューサーとしてデビュー。2019年には『3年A組-今から皆さんは、人質です-』をプロデュースし、数々の賞を受賞。 現在はNetflixでプロデューサーとして活躍中。